「リモートワーク」=「在宅勤務」というのはおかしい

 新型コロナウイルスの副産物として、リモートワークやテレワークが普及したことが挙げられる。英語の意味をそのままとらえると、「Remote」も「Tele-」も「離れた」ということになるので、オフィスから離れたところで仕事をすることが、すなわちリモートワーク・テレワークであるという理解で良いのだと思う。

 一方で、これらの用語の訳語として「在宅勤務」というのが定着しつつあるが、これだと勤務場所が自宅に限定されてしまうことになるので、必ずしも正確な訳でないという気がする。リモートワークやテレワークの場合、仕事をする場所は家に留まらない。レンタルスペースだろうが、カフェだろうが、どこかしらで仕事さえしていれば構わないわけである。会社の前の道端にしゃがんで仕事をしようが、六本木ヒルズの多目的トイレに腰掛けて仕事をしようが、リモートワークとしては成立するが、後者の場合、リモートワークとしては成立しても、倫理上は成立しないのでやめるべきである。

 やや脱線したが、「在宅勤務」というのは、「リモートワーク」や「テレワーク」の訳語として適当ではないというのが今回の趣旨である。例えば、このようなやりとりがあったとしよう。

「もしもし、山田さんはいらっしゃいますでしょうか」

「申し訳ありません。山田は本日在宅勤務で出社しておりません」

 もし、山田さんが家ではなく、気分を変えるために、みなとみらいの観覧車の中で仕事をしていたら、「在宅勤務で出社しておりません」という話は厳密に言えば嘘になってしまう。やはり「在宅勤務」に替わる別の言い回しが必要である。直訳すれば「遠隔勤務」となるのだろうが、別に日本語にこだわらずに「今日はリモートなんですよ」という風に言っても良いと思う。ちなみに、たとえ山田さんが家にいたとしても、仕事をせずにドラクエをしていたら、「在宅勤務のため出社していない」というのは厳密に言わなくても嘘になってしまうので注意が必要である。

 なぜこんなことを書いているのかというと、言霊の話ではないが、「在宅勤務」という言葉がいたずらに人々を自宅に縛り付けることにならないかということを危惧しているのである。今後、リモートワークをさらに広めていくのであれば、会社と家だけが仕事をする場所ではないという考えも併せて広めていく必要があるのではないか。

 個人的な話になるが、僕はどうも家で仕事をする気になれない。家は子供が走り回っていて、とても仕事どころじゃないということもあるが、それ以前に、どうやら僕の中には「家はぐうたらする場所であって、仕事をする場所ではない」という考え方が根強くあるようだ。最近までは家庭に仕事を持ち込まないことが美徳とされていたのに、今では猫も杓子も家に仕事を持ち込むようになってしまった。世の中の速すぎる流れに付いていけない老人というのは、こんな風にできていくのかと自分の身をもって感じている。

 結論に至るまでの過程はどうあれ、「家で仕事なんてできるか」と思っている人は僕だけではないと思いたい。このままでは、仕事はあるのに仕事をする場所がない人々が街に溢れて暴徒化してしまうような事態も生じかねない。そうなる前に、家や会社以外に仕事をすることができる場所が必要となる。

 新型コロナ以前からシェアオフィスとかコワーキングスペースといったサービスを提供する会社は出てきているが、仕事をする場所を得るのに自腹を切るのもアホくさい気がする。最近では帝国ホテルやニューオータニのような超一流ホテルでもテレワーク用に客室を貸し出しているらしい。当然お値段の方も割安とは言え、1日につき1万円超はする。仕事をしているだけなのに月に30〜40万円が吹っ飛ぶというなんだかよく分からないことになってしまう。

 長々と書いてきたが、つまるところ何が言いたいのかというと、俺も他人の金で帝国ホテルやニューオータニでリモートワークがしてみたいということである。

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