おまえらに「うっせぇわ」とか思われてる俺もかつてはそっち側の人間だったんだからな

 「世の中便利になった」という感情は、若い人には持ちえないものであろう。例えば公衆電話が登場した時、「外で電話がかけられるなんて世の中便利になったもんだ」と多くの人が思ったはずである。しかし、物心ついた時点であちこちで公衆電話を見ていた僕にとっては、公衆電話に対して「便利になった」などという感情を持つことなどないわけで、公衆電話の存在を当たり前のものとして受け止めていた。今ではスマートフォンですら「これは便利だ」と思って使っている人も少なくなってしまったのではないか。

 最近、「世の中便利になったな」と感心させられたものはSpotifyである。Spotifyのおかげで巷にあふれる多様な音楽が聴けるようになった。言葉は悪いけれども、「聴いてはみたいが、わざわざCD屋に行って買うほどのものではない音楽」というのが世の中には結構ある。月々980円納めるだけでそうした音楽を手軽に聞くことができるようになった。僕自身、あまり流行りの音楽に関心を持つタイプの人間でもないが、「せっかくSpotifyがあるんならちょっくら聞いてみっか」という気にもなる。

 そんなわけで、最近巷でブームの「うっせぇわ」に手を出してみた。若い世代に大流行しているだけあって、幕末に大流行した「ええじゃないか」を彷彿とさせるキャッチーなタイトルである。サビのメロディも、一度聞いてしまったら、あとは勝手に脳内でリピートされるほどの中毒性を持っている。なるほどこれは再生数を稼げるわけである。

 それではこの歌い手のAdoという少女は、一体何に対して「うっせぇわ」と言っているのだろうか。そう思って、耳の穴をかっぽじって歌詞に耳を傾けると、どうやら彼女の感情の矛先は、我々おっさん社会に対して向けられているのだということに気づくのにさほど時間はかからなかった。それなのにどういうわけか、この歌に対して反感が湧き起こることはなく、それどころか、むしろ「微笑ましい」とか「ほっとした」という気持ちが芽生えたことに驚いた。「うっせぇな、こっちだって最近じゃパワハラとかアルハラとか言われないように色々気ぃ使ってんだよシャバ僧が」と一刀両段に切り捨てることもできなくもないのだが、不思議とそういう気にもなれない。

 ここから先は僕の独りよがりな想像に過ぎないが、この「うっせぇわ」という曲は、自分の感情を表に出すことに慣れていない、どちらかというと暗くて目立たないタイプの女の子が、声に出せずに心の中で密かに抱いている社会への反感を表現したものではないかと思うのだ。Adoという歌い手がサビに入る前の「はぁぁぁ?」という声が、いかにも怒り慣れていない人のように聞こえて少し可笑しいのである。

 また、この「うっせぇわ」という曲で表現されている苛立ちは、決して今の若い世代固有なものではない。特別な天才だと思っていた自分が、学生というお気楽な身分を剥奪され、今まで見下していた社会の歯車に無理矢理組み込まれる時の焦燥感。これは今のおっさん世代も通ってきた道なので、反感を抱くどころか「今の若い奴らも案外俺らと同じようなことを考えてんだな」という親近感さえ抱かしめるのである。まあ若者に対抗意識バリバリのおっさんも多いので、「なぁに甘ったれたこと言ってんだよガキ」と怒る人もそれなりにいるかもしれないが。

  なお、「うっせぇわ」を子供に聞かせたくないという大人がいるようだが、この歌を聞かなかったところで、この先「うっせぇな」と思う場面なんていくらでも出てくるので、特に心配はいらないのではないかと思う。思ったことや感じたことをストレートに表現する方法を学ぶことは悪いことではない。やり場のない鬱屈や苛立ちは心の中に蟠り、変に発酵して突然大爆発を起こしてしまいかねない。

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