あまりに花粉症が辛いので牛乳をやめてみた結果

 全国各地の桜の名所に花見客が殺到しているようだ。よくもまあこんな時節に桜の花なんか見に行く気になるものだと思う。「こんな時節」とは新型コロナウイルスのことを言っているのではなく、花粉症のことを言っている。2月の終わりくらいから、喉は痛くなるわ、目は痒くなるわ、クシャミが止まらなくなるわ、鼻水がダラダラ出るわで大変な騒ぎである。

 毎年花粉症が辛い辛いとぼやいている人は多いが、これほどの人が悠長に花見なんぞに出られているのだから、実はみんな大したことなくて、辛いのは俺一人ばかりなんじゃないかと悲劇のヒロインを気取ってしまいそうにもなる。

 2021年は3月にならないうちから20℃を超える日もあったりしたため、随分早くから花粉症の症状に悩まされた。どうせ大した頭や顔でもないし、首から上が取り外せたら、どんなに楽なことだろうと思う。首から上が取り外せるんなら、何かの拍子に吉沢亮あたりの頭と取り違って付けたりできないものだろうか。

 話が脱線したが、それにしても、かれこれ20年以上花粉症に悩まされているのに、なんら有効な対策を打ち出せずにいる自分の無能さが腹立たしくて仕方がない。あまり想像したくないが、花粉症の季節が一年間ぶっ通しで続くのであれば、さすがの僕も対策に本腰を入れざるを得なくなるだろう。しかし、実際に花粉症の症状が出るのは、僕の場合、長くても毎年2月から4月のたかだか3ヵ月程度のことである。

 5月の半ばにもなれば、ついさっきまで悩まされていた花粉症の症状がすっかり解消してしまう。そうなると、花粉に対する恨みつらみが綺麗さっぱり頭の中から消え失せるのだ。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということわざに対して、これほどぴったりハマる用例もないだろう。是非どっかの辞典に記念として僕のことを載せてもらいたいものである。

 嫌な思い出も時間が経てばすぐに忘れられるというのは、数少ない自分の美徳であるとも思うが、こういう人間ばかりでは世の中成り立たないだろうなとも思う。地震だの火事だのあらゆる天災人災も、3日経ったらみんなしてまるで無かったのごとく振る舞うような世界に明るい未来は訪れまい。

 「花粉症のことを忘れてしまい対策が取れない」というのも真であるが、「何をしたら花粉症が収まるのか分からないので対策の取りようがない」というのもまた真である。ヨーグルトを食べるのが良いとか、甜茶が効きますとかいう話も聞くので、色々試しては見るものの、一向に収まる気配がない。「酒を飲んだ翌日は悪くなる」というのは当たっているようだが、酒を飲むのをやめても、症状が悪くなるのを防ぐことはできるが、かといって症状が良くなるわけでもない。

 こういうものは、いくら世間一般で正しいものとされていても、自分に効果がなければ全く意味がない。「多摩川でナマズを釣って食ったら100人中99人の花粉症が改善した」と言われても、自分が残りの1名だったら、その情報には何の価値もない。「他の誰にも効き目はなかったけど、俺の場合は芦田愛菜ちゃんのおしっこ飲んだら治った」というような情報が欲しい。こんなところに引き合いに出させる芦田愛菜ちゃんが可哀想である。

 これは単なる素人の当て推量になるが、「〇〇を食えば治る」ということよりも、「〇〇を口にするのを止めたら治る」ということのようが正しいような気がする。普段何気なく食べたり飲んだりしているものが、案外自分の身体に悪さをしているということがあるのではないだろうか。

 そう考えて、とりあえず毎日のように飲んでいた牛乳を飲むのをやめてみたところ、どうやら少しばかり症状が軽くなった気がしないでもない。一方で「好きな牛乳を我慢しているのだから何かしらの効果がないと割に合わない」という思いが、身体に症状を感じさせまいとしているようにも思えるし、あるいは、実は症状が軽くなったのは牛乳を止めたからではなく、自分が外出を控えるようになったからかもしれないとも思うので、牛乳をやめたことにどの程度の効果があったかは全く分からないというのが正直なところである。

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