女優やモデルが不本意な枕営業をやらされた、あるいはやらされそうになったという告発は定期的になされており、その時々でそれなりに問題視はされる。しかし、かといって枕営業自体が決して根絶されることはない。それはなぜなのかというと、「枕営業をしてでも仕事を射止めたい」という人が一定数いるからではないだろうか。特に芸能界のように、座れる椅子が限られており、なおかつその椅子に座りたいと願う人が無数に存在しているような世界では尚更だろう。
配役をする側の立場になってみても、ひとつの役に対して希望者が100人も出てきたら、その100人をなんとか10人くらいに絞ることはできても、そこから先の選考は困難を極めるのではないだろうか。最後に残った10人はルックスも演技力も同程度で甲乙つけがたいという状況のなか、1人だけ「私は枕営業バンバンやります」という人がいたとしたら、「それじゃあ今回はこの人にやらせてみっか」という形に収まるのも無理もない気がする。
映画やテレビ番組の制作というのも、つまるところは仕事なので、配役を行う上で決め手となるのは、結局は「どんな人と一緒に仕事をしたいか」という判断になるのではないだろうか。それでは次に、具体的にどのような人と一緒に仕事をしたいか、という話になるが、実力が同じなのであれば、その仕事に対して本気で取り組むやる気と覚悟を持った人、ということになる。その「やる気と覚悟」の度合いを判断するうえで、枕営業ほど「やる気と覚悟」を明確に表示ができる手段は他にないような気もする。
思うに枕営業的なものは、その仕事に就きたいと思う人が多い世界においては、僕らが思うよりも頻繁に行われているのではないだろうか。仕事という対価を得て性行為をしていることになるので、厳密に言えば売春行為に相当するとも言えなくもないと思うが、「別に仕事を与えるためにやったんじゃありません」などという言い逃れはいくらでもできるレベルだろう。枕営業の当事者が女優やモデルなど、知名度の高い人であれば世間の耳目を集めやすいが、知名度の低い人が枕営業的なことをしたところで、違法性が疑わしい以上、大した騒ぎにもならないだろう。
一方で、ある役柄の選考過程において、一定レベル以上に達している人たちが全員枕営業を拒否し、それより一段レベルの低い人が枕営業に応じた場合にどうなるのか、ということについては関心がある。その場合、配役をする人は作品の完成度が低くなることを覚悟したうえで枕営業に応じた人を採用するか、作品の完成度を重視し、枕営業を抜きにして選考を行うかの二択になるわけだが、ここから先については、配役をする人の価値観や職業意識に拠るところが大きいのだろう。