どうやら最近育児休暇や介護休暇などの法改正があったようで、父親でも最大4週間の育児休暇が取れるようになったらしい。最近は何かと暗いニュースが多いが、そんな世の中にあってこれはて、これは珍しい朗報である。既に一児の父である僕も、40を過ぎてはいるが、もう1人作っちゃおうかなと思うくらいのインパクトがある。
何が素晴らしいって、育児という大義名分をタテに会社を堂々と休めることほど嬉しいものはない。どうせ会社は僕がどの程度育児に関わっているかなどということを、いちいちチェックしに来ないだろう。仮に赤ん坊に何回ミルクをあげたか、とか何回オムツを替えたかとか報告を義務付けられたとしても、そんなものはいくらでも誤魔化せる。申し訳程度に一日に一回くらい気紛れにミルクをあげることくらいはするかもしれないが、それ以外の時間はゲームやパチンコに明け暮れていたって良いわけである。
そんな不届きな考え方をする男性が僕以外に全く出てこない、などという保証はまるでなく、それどころか、実はこの手のヤカラはかなり多くの割合で存在しているのではないかとさえ思われる。育児休暇を都合よく利用してやろうという悪意までは持たないにしろ、何をしたら良いのか分からずひたすら見守りという名の傍観に徹し、空気を読まずに昼飯はまだかなどとお母さんに催促してしまうお父さんもかなり多いのではなだろうか。こういうタイプの父親には、下手に家にいられるより、会社に行ってくれていた方がよっぽど楽だちうお母さんも多いのではないだろうか。
もちろん、世の中には母親と同等にきちんと育児をこなす清く正しいイクメンもたくさんいる。しかし、その一方で、イクメンとしての才能に恵まれていない男も数多く存在するのである。
これからの女性には、結婚相手のイクメン適性まで見定めたうえで配偶者を選ぶ必要があるのではないだろうか。イクメン適性というのは、単に子供が好きそうなどという甘っちょろいものとは全く次元が異なる。その辺で見かけた子供と遊んであげているとか、子供と上手に話ができるとか、上っ面の話ではない。子供が楽しい時間を過ごしているところに後から乗っかっていくことなど比較的容易いことである。子供が上機嫌でいる時間なんて1日のうち3時間あれば上出来で、問題は残り20時間以上の不機嫌な時間帯にどう寄り添えるかということなのだということが痛いほど分かった。
才能だの適性だのもっともらしいことを言っているが、要するにやる気がないだけだろ、という反論ももっともだと思うが、我が身を振り返っても、子育てに必要な資質を決定的に欠いているなという場面に何度も出くわした。例えば嫁さんから、トイレに行っている間、子供を見ておいて欲しいと頼まれたとする。僕が見ている限りでは、子供はまったく安全な行動しかしていないように見えても、トイレから戻ってきた嫁さんからすると、とんでもない危険行為をしていたらしく、「なぜちゃんと見ていないのか」とたしなめられることもしばしばである。
これについては、僕が見る目を養いさえすれば改善できることではあるが、こればっかりはどうにもならないというものが一つある。
それは何を隠そう「おっぱい」である。
嫁さんが育児をしている様子を傍目で見ていて、おっぱいさえあったら俺の育児も捗るだろうなあと思うことが少なからずあった。「母」という漢字自体、おっぱいの象形文字であるなど、育児とおっぱいは切っても切り離せない関係にある。
おっぱいの良いところは、何と言っても母乳が出ることだろう。母乳には鎮静効果や催眠効果でもあるのか、泣き喚いている赤ん坊もおっぱいを吸えば静かになるし、なかなか寝付かない時も、おっぱいをちゅぱちゅぱやっているうちに眠ってしまう。あまりに効果覿面なので、物は試しとばかりに、赤ん坊の口に僕の乳首を近づけてみたが、残念ながら見向きもされなかった。
おっぱいの強いのは、母乳が出るところだけでなく、その柔らかさにもあると思う。赤ん坊を普通に抱っこすると、母親が抱く場合、赤ん坊は自然とおっぱいに包まれる形となって安心感がある一方で、父親の場合は、胸に抱かれていてもなんだかスカスカするわむさ苦しいわで、一刻も早くこの場を離れたいとすら思わせてしまうのではないだろうか。
なんだか「自分の部屋があればもっと勉強する」などと言っている小学生とあまり変わらないようにも思えるが、男も積極的に育児をせよというのであれば、それに必要な備品として、おっぱいのひとつやふたつ与えてくれても良いのではないかと割とマジに思っている。