最近導入したGoogle Search Consoleによると、「筋トレ 無駄」という検索キーワードでこのブログがヒットすることが多いようだ。それ自体は大変結構なことではあるが、惜しむらくはその後のアクセスに結びつく確率が笑ってしまうほど低いことである。それもそのはずで、その記事自体が「筋トレは無駄とか言ってる奴がいるけどそんなことはない」という内容のものだからだろう。
おそらく「筋トレ 無駄」と検索をする人は、「筋トレなんてやるだけ無駄なんだよ」という考えのもと、それに同調してくれる内容の記事を求めているはずなのに、「いいや、無駄じゃない」などと真っ向反論してくるような内容の記事をクリックする気になるだろうか。
筋トレは時間の無駄だと思っている人の瞳にこのブログが映ることが多いのであれば、それらの人々の心情に寄り添った内容の記事を書くことがこのブログの筆者である僕に課せられた使命と言える。確かによくよく考えてみれば、筋トレほど費やす時間の割に効果が現れにくいものはない。本記事では、そうした筋トレの無意味さや虚しさを書いて行こうと思う。
筋トレの無駄なところ その1:なかなか筋肉がつかない
「マッチョになるのが嫌だから筋トレはしたくない」という素人に対して、筋トレ界の重鎮が「そんなに簡単にマッチョになれるなら苦労せんわ」という説教を垂れるのが、筋トレ界定番のやりとりである。これは裏を返せばすなわち「筋肉をつけるのには物凄い苦労を伴う」ということになる。確かにこれはまったくそのとおりで、ほんの2,3度ジムでウェイトを挙げたくらいでは全然筋肉はつかない。同じメニューを2,3ヶ月間続けてようやくちょっと筋肉がついたかなという実感を得るくらいである。
筋トレの無駄なところ その2:筋肉がついたところで気付いてもらえない
せっかく筋トレをするのであれば、周囲の人からの「ちょっと身体デカくなったんじゃないですか?」とか「あれ?なんか体型変わりました?」くらいの一言は欲しいものである。ところが、地味で苛酷な筋トレを数カ月続け、始める前に比べたら太い腕と厚い胸板を手に入れたとしても、中途半端な筋肉では服を着ていると全く気付かれないのが辛いところである。筋肉というものは一夜にして急に肥大するものではなく、時間をかけてゆっくり大きくなっていくものである。そうなると、特に学校の友達や会社の同僚のように毎日のように顔を合わせる人にはあまりにも微々たる変化で気付かれないものである。かと言って、出社するなりおもむろに服を脱いでビキニパンツ一丁で会社を歩き回るわけにもいかない。そうなると、筋トレなんて所詮は自己満足に過ぎないのではないかという疑念もふつふつと湧いてこようものである。
筋トレの無駄なところ その3:ちょっとサボるとすぐ元通りになる
「良くなるのはめちゃくちゃ時間がかかるくせに、悪くなるのはほんの一瞬」というのは森羅万象に当てはまる現象であり、筋トレもその例外でない。上述のように、数ヶ月間規則正しい筋トレを続けて、ようやく少しは筋肉がついてきたかな?と思えるくらいの成果しか上がらないのに、ほんの数週間筋トレをサボっただけで、たちまち筋トレ開始前の身体に元通りになってしまう。数カ月間の積み重ねが数週間で台無しになってしまうわけである。こうなってしまうと、なかなか辛い数ヶ月間をもう一度やろうという気力が湧いてこず、さらに数ヶ月のブランクを空けることになる。そうこうしているうちにも筋力はどんどん衰えていくわけで、ますます筋トレから遠ざかるという悪循環に陥ってしまうわけである。
思うに、筋トレを続けている人の多くは、「筋肉モリモリのマッチョになりたい」という純粋な思いで動いている人よりも、「少しのサボりで身体が元に戻ってしまうのが怖い」という強迫観念に駆られている人の方が多いのではないだろうか。こうなるともはや筋トレ中毒、筋トレ依存症と言えるのではないだろうか。恐ろしいことに、僕自身もその中毒、依存症の沼にどっぷりハマっているのだ。
以上、僕の考える筋トレの無駄だと思うところ、無意味と思うところについて書いてきたが、筋トレに限らず、趣味というものは何かの役に立つからやるというよりも、暇つぶしのためにやっているという要素の方が大きい。どんな趣味であれ、「無駄だな」とか「何の意味があるんだ」と思い始めてしまったところが縁の切れ目みたいなところがある。意味を求めるのであれば、筋トレをする時間を使って資格の勉強をしたり、投資をしたりした方が有意義なのは間違いないように思う。