スポーツチームや体育会系の部活に所属していた人ならば誰しも経験があると思うが、例えば監督からグラウンドを10周走るように命ぜられ、必死の思いでようやく9周目を走り終えたくらいのタイミングで、「よーし、あと5周行ってみよう!」という監督の無情の声がグラウンドに響くことがある。選手としてこれほど監督に対して殺意が湧く瞬間はない。
キツいトレーニングももうすぐ終わると思う頃に、追加のメニューを言い渡すというやり方は、メンタル面を鍛えるという目的で軍隊の訓練なんかでもよく使われているらしい。確かにやっとの思いでゴールが見えかけてきた頃に、いきなりゴールの位置のずらされるのは精神的なダメージがものすごく大きい。仏と言われるほど寛容な僕が、20年以上経ってもこのことを根に持っているほどなのだから相当なものである。
最近、これと全く同じことが我々現役世代のサラリーマンに対して行われているのではないかということに気が付いた。
僕ら氷河期世代の人間は、60歳まで会社で勤めあげれば、そこから先は現役から退いて、年金をもらいながら悠々自適の生活を送れると信じて疑わずに子供時代を生きてきた。今の価値観からすればとんでもなくおめでたい幻想の中で生きているなと思われるかもしれないが、自分の祖父母や周りの爺さん婆さんがそんな感じで生きているのを横目に見ていれば、そんな価値観を疑うことの方が難しかったのだ。
それがいつの間にか、人生100年時代だとか2000万円貯めなきゃ死ぬとかいう話がにわかに降って湧いてきて、今では65歳どころか70歳になっても働かないといけないような雰囲気である。冒頭に書いたグラウンド10周の話ではないが、こちらは60歳がゴールのつもりで走っているのに、その途中で急にゴールを延ばされても困ってしまう。
別に強制労働をさせられるわけでもないし、働くのが嫌なのだったら働かなければいいじゃないかという指摘もあるかもしれないが、定年延長は年金の支給開始年齢と表裏一体である。年金が70歳になるまでもらえないとなれば、糊口を凌ぐためにも働かざるを得ないのである。
どうせ引退したって他にやることもないんだから喜んで働くよという人も中にはいるかもしれないが、ひょっとして喜んでいるのは自分だけなんじゃねーの?という問題提起をしたい。
そもそも、当初定年の年齢が60歳に設定されていたのはなぜなのだろうか。おそらく、人間60歳にもなれば、体力も気力も事務処理能力も著しく減退してしまうのがその理由ではないだろうか。それは新しい技術や知識を身に付けようとする好奇心の減退も含まれる。僕自身も40歳にして既に、日に日に己れの体力や能力が衰え、新しいものに対する拒否感も少しずつ芽生えていることを感じている。これから60歳、70歳と歳を重ねていくごとに、衰え具合はさらに加速していくのだろう。いくら今の高齢者は若いと言っても、比較対象は2~30年前の高齢者であって、同じ時代を生きる2~30歳の若者と比べれば、それより劣るのは当然のことである。
新型コロナウイルスの影響で、職場環境のデジタル化、オンライン化が急速に進んだ企業も多かったのではないかと思うが、どの組織にもそうした流れに付いていけない年配者が少なからずいる。付いてこられないなら放置しておけばよいという選択肢もなくはないが、悪いことにそうした世代の人達は会社の中で既にそれなりの立場を築いてしまっているので、どうしても若手の社員が彼らをアシストするしかない。
これはどういうことかというと、年寄りが会社に居残ることで、会社の生産性が増すどころか、逆に周りの人達の脚を引っ張って生産性を押し下げる結果になっているのである。
俺はZoomもSlackも使いこなせるから歳を取ってもそんな醜態は晒さないよと思っている人もいるかもしれない。しかし、技術や価値観のアップデートがかつてないスピードで行われている中、今の現役世代が置いてけぼりにされる時は必ず訪れるのだ。
うちのクソ上司はZoomの使い方も満足に知らねーんだよと笑っている人達のうち、果たして何人がそのうち自分が笑われる側になることに気付いているだろうか。65歳になった僕が、その時の最新技術を使いこなせずに、40歳も年下の若僧の脚を引っ張って溜息をつかれるくらいのことは容易に起こりうるのである。
かつて、中世日本の農村にいたとされる長老のように、有事の際に若者に知恵を授けるような存在になれれば良いのだが、若い時に必死に身に着けた知識やスキルが数十年後にまだ使える保証はまったくないし、そもそも同じ組織の中で、若者よりも年寄りの方が多く居座っているような世代構成になってしまっているのがタチが悪い。長老がありがたがられるのは、組織の中で希少だからなのであって、口ばかり出して手を動かさない老害の頭数の方が多くなってしまっては、その組織の行末など知れたものである。
定年が延びたと言っても、それはおそらく同じ会社や組織で継続的に働くということではなく、若い世代の脚を引っ張ることがないよう、年寄りはひとまとめにされて、新しい技術が必要とされないような仕事に就くことになるのだろう。多分その方が無用な世代間の争いごとも避けられて、諸事丸く収まるような気がする。