「日本とはどのような国なのか」という問題を考える上で、日本以外の国からやってきた人が日本をどのように見ていたかということを知ることは大いに参考になる。そもそも日本でしか暮らしたことのない人に「日本はどういう国なのか」と聞いたところで、比較するものがないので何とも答えられないだろう。
そういう意味では、戦国時代の日本にキリスト教を布教する目的でヨーロッパからやってきた宣教師たちが書き遺した手記や報告書の類は大いに参考になる。
もっとも、日本も戦国時代となれば既に中国大陸からの影響も少なからず受けていただろうから、その時代の記録であっても、厳密には「純粋な日本」ということはできないのかもしれない。そうなると「じゃあ純粋な日本って何よ?」という話になってしまって収拾がつかないうえ、中国の歴史書くらいしか文献がなくなってしまう。
戦国時代であれば、少なくとも西洋文化との交流はまだほとんどなかった時期ではあるため、現代と比べればまだ「純粋な」日本像の片鱗を見ることができるかもしれない。
そんな思いから、イエズス会の宣教師として戦国時代の日本に来日したルイス・フロイスが著した「ヨーロッパ文化と日本文化」という書籍を手に取ってみた。
あらかじめ書いておくが、本書はルイス・フロイスが日本の特徴を本国に報告する目的で書いたものなので、日本とヨーロッパの違いを殊更強調するため、記述がやや大袈裟すぎないかと疑いたくなるような箇所があるのも事実である。それでも、当時の日本人だけでなく、ヨーロッパ人の生活様式や物の考え方を知る上では貴重な資料であることは間違いない。
この本を読んでみて感じたことは、戦国時代の日本人と現代の日本人は似通っているところも多く、およそ500年の時は隔てているが、その頃から受け継がれているものも想像以上にあるのだということだ。一方で、戦国時代は日本史の中でも一二を争うほど乱れた世の中だったので、今のような平和ボケした時代とは大いに異なる部分があることは当然だが、そうした時代背景を差し引いても、今の日本人とは明らかに違うなというところも確かにある。
この記事では、「ヨーロッパ文化と日本文化」の記述を通して、僕自身が感じた今の日本人と戦国時代の日本人の共通点や相違点をまとめていきたいと思う。
戦国時代日本人と現代日本人の共通点
当時の日本人と、今の日本人との共通点は、本書の最終章の「前期の章でよく」まとめられなかった異風で特殊な事どもについて」という箇所に出てくる記述が面白い。
例えば、ルイス・フロイスは、日本人はよく「偽りの微笑」を浮かべるということを繰り返し述べている。例えば、ヨーロッパでは他人と相対する時に偽りの笑いを浮かべることは失礼に思われるが、日本では偽りの笑いをすることが高尚だとされているというのである。
フロイスの言うこの「偽りの微笑」というのがどんなものなのか、日本人ならば想像に難くないのではないだろうか。特に日本人が西洋の人と接する時にこの「偽りの微笑」が出やすい気がする。戦国時代の日本人も僕達と同じように「偽りの微笑」を浮かべていたのだろう。
また、フロイスはこんなことも言っている。
ヨーロッパでは言葉の明瞭であることを求め、曖昧な言葉を避ける。日本では曖昧な言葉が一番優れた言語で、最も重んぜられている。
どうやら、主語を省いたりしてハッキリと物を言わない文化は相当深く我々に根付いているようだ。戦争に明け暮れているような日々の中で曖昧な言葉使いをしていて、よく上意下達が混乱しなかったものだ。
曖昧な言語が重んぜられる社会で、一番重宝がられるのは、上の立場の人間が言わんとしていることを正しく察せられる能力である。
それから「日本人の食事と飲酒の仕方」という章に出てくる、こちらのエピソードもなかなか興味深い。
われわれの間では誰も自分の欲する以上に酒を飲まず、人からしつこく勧められることもない。日本では非常にしつこく勧め合うので、ある者は嘔吐し、また他の者は酔っ払う。
この辺りは現代でも特に仕事関係の飲み会で多く見られる光景ではないだろうか。
戦国時代の日本人と現代日本人の相違点
戦国時代と現代の生活で大きな違いを感じるのはやはり食生活である。
フロイスは当時の日本人がどのようなものを食べていたか、これもヨーロッパの食生活と比較する形で書き連ねている。
例えば、日本人は我々が食べるチーズなどの乳製品は臭いと言って食べないが、我々からすれば日本人が食べている魚の臓物が臭くて食べられない等々である。
当時の日本人が食べていて、今の日本人は食べないものとして、鶴や猿、そして犬の肉などがあった。猪の肉は今でも食べなくもないが、当時は薄切りにして生で食べていたという。
また、山で採ってきた葡萄を塩漬けにして食べているという記述もあった。現代とは食品加工や保存の技術が雲泥の差なので、食生活についてはある程度の違いがあることは読む前から想像できたことである。
その一方で、戦国時代の女性の生き方は、僕が本を読む前に想像していたものは大分かけ離れたものであった。
当時の日本の女性については、「女性とのその風貌、風習について」という章において、詳細に綴られている。
まず、フロイスが驚いているのは日本には文字を書くことができる女性が多いことである。高貴の女性は文字が書けなければ価値が下がるというのが当時の通念であったようだが、日本では戦国時代どころか平安時代から女性が文学作品を書いていたわけで、日本人からしてみると、むしろヨーロッパの女性の識字率がなぜ低いのかということの方が気になる。
それ以外にも、財産を夫婦で共有せず、それぞれが自分の財産を持ち、時には妻が夫に金を貸し付けることもあるというようなことが書かれていたり、離婚についても、ヨーロッパでは夫が妻を離別するのが普通であるのに対して、日本では妻の方から夫に三行半を叩きつけることもあるということが驚きの目線で語られている。
夫婦関係ということでは、当時はヨーロッパよりも日本の方が互いの権利が平等であったようだ。
また、日本の女性が性に奔放であったことも書かれていて、日本の若い女性は処女の純潔を全く重んじないとか、両親に断りもせずに何日も出歩いて帰ってこないなどということが書かれている。堕胎や嬰児殺しも躊躇なく行われていたようで、産んだ子供が育てられないと判断すると、赤ん坊の喉を踏みつけて殺してしまうのだそうだ。
処女の純潔だの中絶が罪だのいう価値観はキリスト教がもたらしたものであることを考えると、その影響が全くなかった時代はそんなものだったのかもしれない。
男女平等が叫ばれている現代の日本の女性よりも、戦国時代の女性ははるかにエネルギッシュで、自分の運命は自分で決めるんだというバイタリティに溢れているように思えた。