ビッグボスのもとで冷や飯を食わされそうな杉谷拳士と新庄剛志のセンスの違い

 日本ハムファイターズの杉谷拳士といえば、野球の成績はあまり振るわないにもかかわらず、そのキャラクターを買われて10年以上もチームのムードメーカーとして活躍していることで知られている。

 野球選手というよりエンターテイナーとして球団に籍を置いているのではないかとさえ思ってしまうが、ベンチ入りする25人の選手のうち、試合に出るのはせいぜい15,6人であろうから、ベンチに1人くらいはムードメーカー要員がいたって差し支えはなかろう。同じ野球をやるのであれば、明るく楽しい雰囲気である方が、前向きな気持ちになれるし、リラックスして試合に臨むことができる。日本代表レベルでも1,2名くらいはチームの雰囲気作りを請け負う芸人枠を積極的に設けるべきであると考えている。

 シーズンオフにはテレビ番組に出演するなど、野球もできる芸人としての地位を確立した杉谷拳士選手であるが、栗山監督からビッグボス新庄への政権交代がなされてから、どうも彼の立場が危うくなっているような兆しがある。ビッグボス就任決定後に出演したテレビ番組において、「今後は野球オンリーで」と彼のテレビ出演に消極的な姿勢を見せたようなのだ。以下はヤフーニュースから拾ってきた記事の抜粋である。

日ハムきってのパフォーマー、杉谷拳士内野手についても「実力主義」で起用していく方針をのぞかせた。5日に放送された情報番組「THE TIME」(TBS系)で杉谷選手の起用法について質問されると、 「たぶん彼はチームのためにやってくれてると思う、日本ハムファイターズのために」 と長くチームの人気を支えている杉谷選手を慮るコメントを添えつつ、 「今度は俺が来たから、あなたは大丈夫。来年からは野球オンリーでいいと思う。僕に任せて、あなたは野球に打ち込みなさい」 とコメントした。

 このコメントに対して、世間の反応は「ビッグボスの親心」として肯定的に捉える意見が多いようである。実際に記事の中でも「杉谷選手を慮るコメント」と評価されている。しかし、穿った見方をすれば、杉谷選手が今まで築き上げてきた地位を崩しにかかる発言のようにも思えなくない。

 冒頭にも書いたとおり、杉谷選手はここ数年、肝心の野球の成績が振るわない。打率だけがその選手が良い選手であるかを判断する指標ではないが、杉谷選手の過去3シーズンの打率は累計で2割にも満たない。ビッグボス新庄との比較で語ると、新庄は自身最後のシーズンでも打率2割5分以上の成績を残している。

 ビッグボスからすれば、ムードメーカーとしてベンチに置いてやるのは、まず本業の野球の成績を残していることが大前提であり、ある程度の成績を残せないのであればベンチに入れることもしないよ、というシビアな宣告であるようにも受け取れる。栗山監督が自らベンチのムード作りをどの程度買って出ていたかは知らないが、今後は新庄自らムードメーカーを担うことになるので、今後は選手にその役割を負ってもらわなくても良いということなのだろう。「空に太陽は2つもいらない」というわけである。

 選手にムードメーカーとしての役割を求めた栗山監督と、自らが率先してムードメークを行っていくというビッグボス新庄。これは単にリーダーとしてどのように組織の率いるかという方法の違いであって、どちらが正しいというものではない。組織の率い方に正解はないので、リーダーが個々の性質に合わせてやり方を変えていくしかない。

 僕はあまり野球を一生懸命見る方ではないが、少なくとも僕が新庄と杉谷という二人の人間を見る限り、両者の間に決定的なセンスというか価値観の相違があるように思える。

 杉谷選手は本質は、多くの人がそう評価するように「芸人」である。芸人のなかでも、その芸風は「スベリ芸」というやつで、自らをおとしめる「自虐ネタ」で笑いを取る手法である。

 一方、ビッグボス新庄も杉谷選手と同じエンターテイナーではあるが、彼が重視するのは「面白さ」ではなく、「格好良さ」である。ド派手なスーツに身を包み、高級外車から颯爽と降り立つ姿は見る人によってはある種の可笑しみを感じるかもしれないが、彼なりの格好よさを追求した結果なのだろう。男の世界で言えば歌舞伎、女の世界で言えば宝塚に似たような何かを感じさせる。

 新庄は日本ハムを歌舞伎俳優やタカラジェンヌのような格好良い集団にしようと考えているのに、そこにスベリ芸を得意とする芸人が一人混じっていたのでは、せっかくの構想も台無しになってしまうではないか。前述のテレビ番組に出演した際の新庄の発言から、「俺の組織にピエロはいらない」という杉谷選手に対する冷酷なメッセージが込められていると感じられるのは僕だけだろうか。

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