中日ドラゴンズの立浪監督の指導法は選手を萎縮させているのではないか?

 プロ野球の2022年シーズンの交流戦も終わりを迎えたが、セ・リーグは中日ドラゴンズ、パ・リーグは日本ハムファイターズという新たに監督を迎えた2チームの結果が振るわない。

 戦力的にもこれらの2チームが苦戦することはシーズン開始前からある程度予想されていたので、取り立てて騒ぐほどではない。しかし、同じ最下位でも、これら2チームの雰囲気は大分異なっているようだ。

直接対決で最下位チームの対照的な雰囲気が浮き彫りに

 6月10日(金)から12日(日)まで札幌ドームで行われた中日対日本ハムの直接対決において、両チームの大変顕著に現れていた。このことは、一方の当事者である中日の立浪監督も、日本ハムの選手の方が「ハツラツ、ぎらぎらやっている」と認めている。

 確かに日本ハムの選手達は、ビッグボス新庄のもと、若い選手達がミスを恐れず色々なことに果敢に挑戦し、将来的にはチームの顔になりうるスター候補が日替わりで誕生しており、明るい兆しも出始めているように見える。

 日本ハムの選手の方がハツラツとやっているということは、裏を返せば「中日は雰囲気が悪い」ということになる。試合の合間にファイターズガールが踊る「キツネダンス」にも中日の選手たちは反応しなかったことも話題になっていた。

 傍目から見ていても、中日の選手達の表情にはなんとなく暗さが付きまとう。この雰囲気の悪さ、暗さはどこから来るのだろうか。これから先に書くことは部外者が想像を巡らせているだけに過ぎないが、その原因はなんとなく立浪監督にあるような気がしてならない。

立浪監督と星野イズム

 立浪監督はシーズン前のキャンプの段階から、「アップの時は私語禁止」、「へらへらやってる奴は外す」などと発言するなど、チームの引き締めにかかっていた。また、シーズンが始まってからも、不振に喘いでいる京田を「戦う顔をしていない」という理由で二軍に降格させるといった非情とも言える厳しさを見せている。

 この辺りは立浪監督がこれまで歩んできたキャリアと大いに関係しているように思う。

 彼が現役として活躍していた期間、中日ドラゴンズの監督を務めていたのは、球界きっての武闘派として知られる星野仙一だった。星野監督は時に鉄拳制裁をも辞さない熱血指導により、中日ドラゴンズを戦う集団として育て上げた。星野監督の指導法は、現役時代の大半を星野政権下で過ごした立浪監督にも、直接的・間接的に少なからず影響を与えているはずである。

PL学園式「気配り目配り心配り」の体現者たる立浪監督

 また、立浪監督の母校がPL学園であることも大きいのではないか。説明するまでもないが、PL学園は甲子園優勝7回という超強豪校で、輩出したプロ野球選手も数知れない。

 その一方で、栄光の裏には、地獄のように厳しく、理不尽な上下関係があることで知られている。特に立浪が入学した年は、PL学園はまさに黄金期とも言える時期で、3年生に清原和博・桑田真澄のKKコンビが在籍しており、上下関係の厳しさも格別なものだったであろうことが想像される。

 しかし、そんな環境にあって、立浪だけは監督からも怒られること無く、先輩からもいじめられることなく3年間を過ごしたという逸話を持っているそうだ。桑田真澄には寮の同部屋で文字通りに可愛がられていたというし、清原も立浪には先輩風を吹かすどころか逆に一目置いているようなフシさえある。なぜ立浪はPL学園において、このような特別な地位を勝ち得たのだろうか。

 これは立浪が野球選手として卓越したセンスや才能の持ち主であることも一因だろうが、それ以上に、彼はチーム内で誰よりもよく気が利いたということが最大の要因だったのではないかと思う。

 PL学園野球部の地獄っぷりは、しばしばOB達が雑誌やテレビ番組の対談などで当時を振り返っており、我々もその一部を垣間見ることができる。それらの話を総合ずると、PL学園野球部では、厳しい上限関係を通して「気配り目配り心配り」の能力が相当鍛えられるようだ。

大学生時代にPL学園野球部でコーチをしていたという清水孝悦氏が、この真髄を次のように語っている。

上級生の考えを先回りして、仕事をしていくことが大事になります。『あの人、いまこんなことしてほしいんとちゃうかな』とか、中学を出たばかりの子が、人のために働く。これがチームワークの元になるんですわ。

PL学園黄金期築いた「付け人」制度 立浪和義氏は生ける伝説|NEWSポストセブン (news-postseven.com)

 そして立浪は、後の世代まで語り継がれるほど、この「気配り目配り心配り」に長けていたそうである。当時PL学園野球部を指導していた中村監督が、Numberの記事でこんな述懐をしている。

「ある日、PL学園の寮に来られた他校の監督さんから風呂に入りたいと言われました。そこで、立浪に『ちょっと風呂見てこい』と伝えたら、5分後くらいに『大丈夫です』と。その監督さんが風呂から上がった後に『PLの強さの理由が分かりました』と言われました。理由を聞いたら、椅子の上にタオル、せっけん、シャンプーが準備してあったと。立浪は周りを見て、先が読める選手でした」

https://number.bunshun.jp/articles/-/852924

 この辺りは後に豊臣秀吉となった木下藤吉郎をも彷彿とさせる。今では本来の意味は失われてしまったが、本当の意味での「忖度」が何なのかを思い出させてくれるエピソードである。

気が利きすぎる人間がトップに立った時の悲劇

 ここまで気を回されると、初めのうちは「おっ、こいつ気が利くな」と感心するかもしれないが、次第に「ひょっとして俺が考えていることは全てこいつに見透かされているのでは・・・?」という疑心暗鬼まで生じてきそうである。

 立浪が監督や先輩から怒られなかった、というのも、愛されキャラとして可愛がられていたというよりも、ある種の空恐ろしさみたいなものもあったのではないだろうか。

 こういう気が利きすぎるタイプがトップに立つと、周りの部下の一挙手一投足に対して「なぜこんなことに気付かないのか」という苛立ちを覚えがちである。その結果、非常に些細なことに口を出すマイクロマネジメントに陥ってしまうことが少なくない。

 カミソリのようにキレッキレのトップが目を光らせていると、下で働く人間としてはトップの機嫌が気になってノビノビと動けないという状況を作り出してしまうものだ。

 現代は「忖度」という言葉が完全に悪い意味で使われるような世の中である。今の若い選手たちに気配り目配りを説いたところで、それに付いていける選手がどれだけいるのか疑問である。

立浪監督はナンバー2向きなのでは?

 立浪の「気配り目配り心配り」はプロ入り後も遺憾なく発揮されていたようで、PL学園の後輩である宮本慎也氏がこんな証言をしている。

一緒に海外でゴルフをした時に「ホットドッグを上の偉い方に渡すときに、ケチャップって最初ちょっと透明なのが出るじゃないですか。あれをナプキンで取ってからケチャップを付けて渡したりとか…。本当に凄い方なんです」と語った。 

https://sp.mainichi.jp/s/news.html?cid=20220322spp000001105000c&inb=so

 宮本氏はこの気配りを「監督の器」と表現しているが、果たしてこれが監督の器なのかは疑問である。基本的に気配りの対象となるのは自分より目上の人間である。監督としてチームのトップに立ってしまうと、気を配るべき相手もいないのではないだろうか。

 監督というより、「細かいことによく気が付くナンバー2」くらいの位置に置いておく方が本領を発揮できるのではないかと思う。

立浪ドラゴンズに反撃の目はあるか 

 日本ハムが最下位なのに雰囲気よく野球ができているのは、ビッグボス新庄が「俺たちはこう戦うんだ」という方針を明らかにし、その方針が浸透することで、選手たちがそれぞれのやるべきことを理解できているからだろう。

 上述の清水氏の発言から、PL式の気配りとはすなわち「相手が何を求めているのか先回りして察知すること」であるとすれば、裏を返せば「相手がやられたら嫌なこと」も先回りして察知できるということである。

 目下のところ、立浪監督はどのようなスタイルでペナントレースを戦っていくかという大方針を確立することに苦戦しているように見えるが、立浪監督が得意とする気配り目配りを活かし、相手の嫌がるところを細かく突いていくというスタイルを確立することができれば、今後の反撃の目も出てくるかもしれない。

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