カタールW杯でゴミ拾いをする人とハロウィンでゴミを捨てる人は同じ日本人でも人種が違うんでしょうな

 日本代表チームのサポーターが試合終了後にスタジアム内のゴミを拾って、国内外のメディアから称賛を浴びるというのが、ここ数回のサッカーW杯の風物詩になっている。

 予選リーグで負けると「サッカーでは負けたがサポーターでは勝った」みたいな言い方をされて、ますます惨めさが増幅されてしまう感があるが、日本代表チームが強いとゴミ拾いにも風格が漂ってくるというものである。

 ここまで世界から注目と称賛を浴びてしまうと、今度はこのゴミ拾いをやめるのにも物凄い勇気が要りそうである。今はまだサポーターがボランティア精神を発揮して自発的にゴミ拾いをしているように見えるが、これだけ注目を集めてしまってはもう後には引けまい。

 そのうち日本サポーターの間で観戦後にゴミ拾いをすることが必須化されてしまい、ゴミ拾いをする人が褒められるよりも、ゴミ拾いをせずに帰ってしまう人達に「サッカーを観た後にゴミ拾いをしない奴がいる」みたいなよく分からない非難の矢が向けられる状況になりやしまいかと心配である。

 スタジアムのゴミ拾いをしている人々は、口々に「こんなことは当たり前のことです」とか「日本では使ったものを元の状態より綺麗にして返すのが当たり前です」などと健気なことを言っているが、なんでそんなしょうもない嘘を付くのかと不思議でならない。

 それが本当なら、どうしてハロウィンの翌朝の渋谷のセンター街はあんなに汚く、花火大会翌日の河川敷はあんなに散らかっているのか。

 海外に出ると、外国の人に良いところを見せようと普段はやらないゴミ拾いなんかやってしまい、ちょっと褒められると「いや〜こんなの日本では当たり前ですよ」などと見栄を張る。そういうところも含めて極めて日本人らしい行いだなあと思いながらW杯を見ていたわけである。

 そんな時、12月14日の日本経済新聞に掲載されていた「W杯の国家主義、既に過去」という記事を読んだ。

 記事を要約すると、今回のW杯開催国であるカタールではスタジアム等の設備建設を急ピッチで行うために多数の外国人労働者が過酷な環境下で低賃金労働を強いられていることや、イスラム教国であるがゆえにLGBTへの理解がないことなどが開催前から西側諸国の人々から批判されており、W杯が始まるとカタールの地を訪れる観戦客と地元民の間で「文明の衝突」が起こるのではないかと筆者は危惧していた。しかし、いざW杯が開幕してみると、ごく一部の例外(スイス・セルビア戦)を除いては、観客席で多様な体型、服装をした人々が共存し、仲良くサッカーを応援していて意外だった、というものである。

 そりゃW杯の観客というのは、サッカーを観に集まっているのだし、みんなにカタールに永住して生活を営むわけでもないのだから、よほど血の気の多い人でもない限り仲良くサッカーを観戦するのは当然だろう。ところが、1990年代あたりまでは、W杯でエキサイトした観客同士でモメたり暴動を起こしたりということが頻繁にあったようだ。その例として、筆者は1998年のフランス大会でイングランドのフーリガンがフランス車を蹴飛ばした話を挙げている。

 それではカタール大会ではどうしてこうした事件が起きなかったのか。記事の中にもそのヒントがあるが、それは今回のW杯がカタールで行われたこと自体がその理由なのだろう。

 記事によれば、カタールW杯を現地で観戦しているのは「サッカー観戦のために来た裕福な観光客」が大半なのだそうだ。また、地元カタール自体も天然資源に恵まれているので、国民がアクセク働く必要がなく、労働力は出稼ぎ労働者に任せきっているような国である。「金持ち喧嘩せず」という言葉の通り、裕福な人というのは自国のサッカーチームが負けたくらいで、いちいち腹を立てて過激な行動を取ったりしないものだ。カタール大会が過去の大会に比べて平和に運営されているのも、そうした背景があってのことだろう。なので、これだけをもって国家主義が過去のものになったというのは、いささか早計ではなかろうかと思う。

 そして、カタールW杯を現地で観戦している日本人サポーターも、当然上にいう「裕福な観光客」の中に入っている。一部報道によれば、W杯の開催に合わせて急ごしらえで作ったようなコンテナ型の宿泊施設ですら一泊3万円もするのだそうだ。普通に居心地の良いホテルに泊まろうとすれば、優にその2〜3倍はかかるのだろう。

 また、日本vsドイツ戦で「2週間の有給ありがとう!」というような趣旨のボードを掲げた日本人サポーターの姿が反響を呼び、彼の勤務先であるNTT東日本が公式Twitterでそれに応えるような場面もあったが、やはりこの時節にカタールまでW杯観戦に行ける人というのは、彼のように安定した仕事と収入がある場合が多いのだろう。

 世界中から一定以上の地位と収入がある人達がカタールに集まり、余裕のある者同士が仲良くサッカーを観戦しているのだから、殺伐とした空気が生まれようはずもない。和気藹々とした感じになるのも当然といえば当然である。

 もしかすると「ゴミを拾うのなんて当たり前のことです」とインタビュアーに答えていた人は、決して見栄でそんな答え方をしたのではなく、本当にごく自然な行為として観戦後のゴミ拾いに参加していたのかもしれない。ハロウィンの夜に渋谷に集まって大騒ぎして、ゴミを路上に捨てて帰るような人達とは別世界の住人なのだ。

 国籍や人種が人間と人間を隔てる時代はとっくに過ぎていて、品格や余裕の有無で人間が区別される時代が来ているのかもしれない。

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