「水は海に向かって流れる」の榊さんは広瀬すずでいいのか?

 田島列島の「水は海に向かって流れる」を読んだ。なんとなくタイトルに惹かれたのと、2023年6月に広瀬すず主演で映画化もされるというので、原作の漫画を手に取ってみようという気になったのである。

 僕はあまりこの手の漫画を読む人間ではないが、個性的な登場人物のセリフ回しが面白かったり、彼らの心の動きが細かなところで表現されていたり、小さな伏線が意外なところに張り巡らせされていたり、読むたびに新しい発見があるので繰り返し読んでいる。

 「水は海に向かって流れる」は、熊沢直達という16歳の少年と「榊さん」こと榊千紗という26歳のOLの2人を軸に展開されていく物語だが、この話の主人公を敢えて1人だけ挙げろと言われれば榊さんということになるだろうか。

 榊さんは16歳の時(奇しくも今の直達と同じ年齢である)に、母親が不倫相手と駆け落ちして家を出て行ってしまったという悲しい過去を背負っている。以来、榊さんは幸せになることを自ら拒否するような生活を続けている。榊さんにとって、自分が幸せにならないことが、彼女がもう会えない母親に対してできる唯一の抗議手段なのだ。

 「彼氏とかいるんですか?」という直達からの問いに対して「いらない」とだけ答える場面などに象徴されるように、榊さんはとりわけ恋愛を毛嫌いしている。それは自分を母親から引き離したものが、他ならぬ不倫相手との恋愛だったからだろう(その不倫相手の正体が直達の父親だったというところがこの漫画を面白く、かつややこしいものにしているのだが)。

 このように、榊さんは16歳の頃から幸せを求めず、恋愛をすることもなく、幼い頃から彼女を知っている「教授」によると「16歳のまま時間が止まってる」ように生きている。榊さんはその教授に対して辛うじて本心の一片を垣間見せるくらいで、その他の人にはあまり心を開かず距離を置いている。服装も控えめというか地味で、いかにも幸薄そうな女性として描かれている。

 僕としては、そんな女性を広瀬すずに演じさせるというところに違和感を覚えざるを得ないのである。僕も広瀬すずについて大して多くを知る人間ではないが、彼女は榊さんの幸薄さや「幸せになることを諦めた哀しさ」のようなものとは対極の位置にいるような女性に感じられるのである。

 公式ページにも榊さんに扮した広瀬すずの画像を何枚か認めることができるが、榊さんというにはかなり目ヂカラが強すぎるように思える。原作の榊さんはかなり毒舌家で、暴言のような言葉を吐くこともあるのだが、そこからは榊さんの自信のなさや躊躇いのようなものも同時に感じられて、嫌な感じを受けることはない。そのトラウマ級の過去ゆえに、背負い続けてきた弱さや哀しさも併せて表現できないと、榊さんは単なる不機嫌な強い女にとして表現されてしまうリスクを孕んでいる。

 果たして広瀬すずにそれができるのか?というものすごく余計な心配が僕の中にくすぶっている。広瀬すずの名誉のために言っていくと、仮にそれができなくても、それは広瀬すずが悪いのではなくてキャスティングをした人のせいということで良いと思う。

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